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東京地方裁判所 昭和31年(刑わ)567号 判決

被告人 諏訪隆雄 外二名

主文

被告人諏訪隆雄を懲役一年六月に、同西村義衛を懲役一年に、同鎌田貞吉を懲役十月に処する。

訴訟費用(証人植木証、細川幸吉、中尾謹次郎に支給した分)は被告人等の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人諏訪隆雄は吉田一夫と共謀の上

(一)  昭和三〇年一一月二四日頃、東京都豊島区西巣鴨二丁目二、一八七番地靴下製造業矢萩留蔵方に於て代金支払の意思がないのにあたかもあるように装い同人に対し「丸善で靴下展示会をやるから靴下を売つてくれ、現金で取引する。今日は、その見本を貰つて行くが丸善のような大きいところだから一足宛では具合が悪いからダースで貰つて行く」と虚構の事実を申し向け同人をしてその旨誤信させ、よつて即時同所に於て、同人より見本名下に男用靴下五ダース(時価五、七四〇円相当)を受取つてこれを騙取し、

(二)  同月二五日頃、前記矢萩留蔵方に於て、支払の意思及び能力がないのにあたかもあるように装い高木信幸振出の額面四八、五〇〇円の小切手が不渡りになることを知悉しながら、その情を秘して同小切手を同人に示し「この小切手は今日銀行に振込めば明後日は現金になるから靴下を売つてくれ」と虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信せしめ、よつて即時同所に於て、同人より売買名下にナイロン男用靴下一四ダース(時価一七、六〇〇円相当)を、同月二六日頃同所に於て、鈴木才一郎を介し、ウーリ柄男用靴下一五ダース(時価二一、〇〇〇円相当)をそれぞれ受取つてこれを騙取し、

第二、被告人等はいづれも三恵食料株式会社の役員であつて、植木証が同人所有の同都世田谷区玉川奥沢町一丁目四九一番地の四所在の宅地一三一坪九勺及び同区同町一七七番地所在の木造瓦葺二階建、建物建坪六〇坪一勺を売却しようとしているのを聞知し、昭和三〇年一二月上旬頃より右宅地建物を三四〇万円にて買受けるべく交渉し一応口約束は出来ていたが、内金一〇〇万円の調達方法として予定していた千葉銀行からの融資が実現の見込が全くないことが次第に明らかになると共に、年末が迫つて何等蓄財もなく、事業も休止状態で収入のない被告人等は越年費用の捻出に苦慮し始めた結果、最早真実前記宅地建物を買い受ける意思も能力もなくなつたのに右植木が被告人等を確実な買主として極度に信用し、且つ右宅地建物の売却を急いでいるのを奇貨とし同月二四、五日頃同都渋谷区氷川町四六番地の諏訪の当時の居宅に於て三名で手形を以て代金を支払う故右手形が落ちる迄権利証を預るとの名目で右宅地建物の権利証を騙取しこれを担保に金融を得て越年費用に充てようとの共謀を遂げ、同月二八日頃矢張り右諏訪方に於て三名協議の上、当時当座取引がなく振込めば不渡になること明らかな三井銀行新橋支店を支払場所とする一〇〇万円及び二四〇万円の諏訪隆雄振出名義の約束手形二枚を作成した後鎌田が同月二九日頃同都新宿区戸塚町三丁目一八番地三好野食堂に於て、植木に対し「約束の宅地及び建物の代金としてこの約手二通を渡すが、他に売られても困るから、交換にあなたの権利証、白紙委任状、印鑑証明書をこの約手が決済されるまで預りたい。絶対に権利証を担保に入れる様なことはしない」旨虚構の事実を申し向け、同人をしてその旨誤信させ、よつて同人より即時同所に於て、金三四〇万円に相当する前記宅地及び建物の登記済権利証各一通(昭和三二年証六九五号の九)を交付せしめてこれを騙取したものである。

(証拠の標目)(略)

尚本件については、被害者植木にも若干異例な行動があつたことが証拠上明らかで、弁護人からもそれを根拠にして無罪の弁論があつたから、その点に関する当裁判所の見解を略説することにする。

先づ証拠上明らかな植木の異例な行動は、(1)彼が約束手形と引換に権利証のみならず、白紙委任状及び印鑑証明をも渡していること、(2)それに先立ち彼が権利証を持つて鎌田と共に日本橋、浅草橋、新大久保方面等金貸の所を歩いていること、(3)其の後細井義三が鎌田と共に植木方の宅地建物を見に行つた時細井と会つていること、(4)植木が承諾書と表題を付した白紙に署名捺印して鎌田に渡していること、(5)本件宅地建物の売買契約は昭和三〇年一二月中に纏まつた模様であるのに契約証の作成が昭和三一年一月九日附で作成されていること、(6)植木が被告人等から一〇〇万円を受領した事実がないのに、一〇〇万円の受領証を渡していることである。

仍つてその夫々について考察すると先づ(1)は植木としては既に一年余り本件宅地建物を売りに出していたのに買手がつかずあせつていたのに被告人等が言い値に近い三四〇万円で買つてくれると云うし、而も被告人等は相当な会社の重役で多額の銀行融資を受けて大事業を始めると云う触れ込みであつたので、確実な買主として同人等を極度に信頼して同人等の気嫌を損じない様にと心掛けていたこと、及び最初の口約束の当時一〇〇万円は一両日中支払う故仮登記の書類を揃えておく様にと云われ、権利証、白紙委任状、印鑑証明等必要書類一切を揃えていた関係上、鎌田から手形と引替に権利証を渡してくれと云われた時同人等の気嫌を損じまいとして権利証のみならず当時一緒に持つていた白紙委任状及び印鑑証明をも、他に担保等には絶対にしないと云う約束を信じて渡したものと解せられること、(2)は当初被告人等が植木に約束した一〇〇万円の手付金の支払が後れていたので植木としてはその支払を受けたい一心から、その金を一時立替えて支払つてくれる金主に見せる為と云う鎌田の言葉を信じて(昭和三一年二月二四日附植木の検察官調書)手附金の支払を受け得るならば、どうせ被告人等に売渡した宅地建物の権利証故これを見せて鎌田の立場をよくし一〇〇万円を借り易くしてやるのは差支えないものと思つて鎌田と共に権利証を持歩いたに過ぎないものであつて、これが為に被告人等が権利証を勝手に担保に供して金借することまでを容認していたものではないと解する。この事は、植木が鎌田と共に日本橋、浅草橋、新大久保等の金貸の所を歩いたのは約束手形二通(書替前のもの)を受取つて権利証を鎌田に渡したよりも前であつて、植木としては一〇〇万円の手付金欲しさに出でたものなることが十分推測出来る事情にあること及び鎌田が植木を欺いて白紙の承諾書を受取つたのが昭和三一年一月四日頃で右日時に後れていること等からも裏付けられるものと考える。(3)については、細井義三の証言に依れば植木も本件宅地建物を担保に供することを承知していた様に見られる部分があるけれども、細井としてはその立場上(植木相手に民事訴訟を起し示談している)左様に述べるのが当然であるからにわかに信用し難く、却つて鎌田の検察官に対する供述調書(昭和三一年三月一日附及び同月六日附)に依れば、当日植木が細井に対し「貴方が金を貸すと云つて来ても私は金は必要ないから要らない」と云つたので帰途細井に対して「植木はあの様に金はいらないと云つているけれどもあの家はこちらで買受けたので書類は後で見せるから金を都合してくれ」と云つて彌縫策を講じているし、植木の検察官に対する供述調書(昭和三一年二月二七日附)及び当公廷の証言に依れば鎌田が細井を案内して植木の家を見に行つた時植木と細井は短時間しか会つて居らず而も両人は余りくわしい話はしなかつたことが窺われるから、右の事実に依つて植木が本件宅地を担保に金借することを諒承していたとは認め難い。(4)については矢張り植木が金融業者である点から疑問を持たれるが、これも右の承諾書が特に内容の記載のないものであつた点、受取つた日時が一月四日頃であつて権利証、白紙委任状、印鑑証明の交付より後であつた点等から見て植木は同人が証言する様に銀行に見せる書類を整える為と云う鎌田の言(昭和三一年二月二九日附検察官に対する鎌田の供述調書参照)を信じて交付したものとみるのが相当である。何故ならばまだ手形を受取つたのみで右手形が落ちるかどうか未定の間に権利証を担保に供して他から被告人等が自分等で使用する金員を借用することを承諾すると云うことは常識上あり得ないからである。(5)については、当初は手附金一〇〇万円の調達が果して二、三日中に出来るかどうか見通がつかなかつた関係上契約書を作成せず、且仮登記の書類を準備せられ度いとの程度の話合であつたが、その後前認定の様な経緯で遂に植木から権利証を騙取したもののこれを担保にして金借せんとして交渉した相手方たる細井義三より担保物に関する書類の完備を要求せられ且つ鎌田が右担保物は取引が済んで既に完全に三恵食料のものになつているから植木の意向と拘りなく金を貸して貰い度いと云つた手前もあり(昭和三一年三月一日附検察官に対する鎌田の供述調書)契約書の作成を要する立場に追込まれた結果昭和三一年一月九日契約書を作成し且つ期日の迫つた手形の書替をし更に同日附で被告人等から植木に対し権利証等の預り証を差入れたものと解せられる(尚右契約書中に第五項として手形が不渡となつた時は売買契約は無効となること第六項として手形の支払が行われた時物件の明渡及び占有移転をすることを約している点より見るも、本件の権利証、白紙委任状等の引渡が単に手形の決済される迄一時預るのであつて他に担保等に供することはしないと云う名目で為されたことが推知せられる)(6)については、これも亦一見不思議であるけれども証第六九五号の第六号(細井幸夫名義の預り証)に依つて窺われる様に被告人等としては本件宅地建物の権利が被告人等にあることを金融業者たる細井に示す為に契約書と同時に特に作成して利用したものであり又植木としては百万円の支払が後れている為これを貸金の形にすれば金利を得る利益があることを考えて(昭和三一年二月二七日附植木証の検察官に対する供述調書)実際は百万円を受取つた事実がなかつたに拘らず被告人等の求めに依り百万円の受領証を差入れたものと見得るのである。

以上の様な次第であつて前記の植木の行動も必ずしも前記認定と矛盾するものでなく、被告人等は当公判廷に於ては詐欺の点を否認しているけれども、同人等の検察官に対する前掲各供述調書及び前掲関係証拠に依れば前記事実を認定せざるを得ないから弁護人の無罪の主張は理由がないと思料する。

(以下略)

(裁判官 熊谷弘)

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